懐かしの阪神電車 Hanshin Elc.Railways.3/20追

  • 7800系急行「うずしお」号
     思えば昭和40年の夏、阪神本線から戦前に活躍した小形の電車は全て引退いたしました。丁度その当時は阪神電車も伝法線を西九条まで延長し、難波までの延長計画も具体化したのですが、当時の延長計画のあった区間で、沿線の住民が地下駅の入り口をもっと作れ!等と騒いだ所、阪神の社長は「それなら新線の建設はヤンペ!」と言うことで、建設機材を引き上げて工事は頓挫。あの当時から40年以上になってやっと阪神電車が、このたび難波まで走る事になりました。そこで小生もワルノリついでに、昔の阪神電車に活躍し急カーブを猛スピードで突っ走った小形電車をはじめとする思い出の姿を、ご紹介致したします。それから小生は大阪生まれですが、親戚など大半は南の南海や近鉄地域であった為、阪神電車の写真はさほど多く撮影していません。昭和40年当時はまだ高校生だったので機材や資金的にも、そして写真の腕前もイマイチであったので予めご了承願います。 Hanshin Electoric Railways,it's one of the high speed Inter-Urban survices between Osaka and Kobe.I will intoroduce of "Old good days" about 40 or more years ago.Please click on any photos in this index. You will find some englich reports in this sight! Thank you.

能勢電の木造車たち Nose Tram line in 1967 追27/6

  • もと阪急デロ10系の模型
    昭和41年能勢電ではポール集電からパンタグラフに付け替え、もと新京阪の木造車もパンタグラフとなり、往年千里山線で活躍していた様な姿が復活した。これは阪急からの全鋼車320形の入線に伴うもので、この電車が能勢電の貧弱な軌道を走れるものか?と危惧させられたが、実際に走り出した姿を見て驚いた。木造車は昭和42年には運転を中止、これを機会に能勢電は軌道強化、更には付け替えなど現在に至る近代化が序じょに始まる事になる Nose electoric tram system now,Nose Electoric Ry.co.is suberbs in Osaka city. At that times, wood cars were still active.But now,it'sturned to very modern railways.

能勢電のその後 Nose Elc.Ry. old to now.3/7追

  • X11
     木造電車とのかかわりは、僅か2年程であったが小生が思い切り撮影出来た"日本における"最後の存在であった。その後もたまには能勢電をたずねては見たが、昇圧により阪急の大形車が入線したのは良いとして、怪しげな塗装が気に喰わず、たまに訪れたとしても妙見口まで一往復する程度であった。所が数年前から阪急色に塗り替えが始まったとたんに、またまた能勢電沿線をほっつき歩くようになった。ここでは320形の続きから最近の状況までをご紹介するつもりである。

東北本線直流区間 E-locos in Tohoku Line2/27追

  • 臨時特急あけぼの
    上野から黒磯までの直流区間にはかつてFE577やEF58などの旧形電気機関車が長距離旅客列車の牽引に幅広く活躍を続けていました。とくにEF57は独特の風貌が魅力的で、EF58と共通運用で最後の華やかな活躍を続けていました。1973年から1976年ごろまでに撮影した全盛時代の姿をご紹介いたします。

河内の蒸気機関車 Steam near Osaka 2/5追

  • C58牽引の大和?天王寺を発車!
     昭和40年から数年間、竜華機関区のすぐ近所に住んで居たときの写真からご紹介いたします。自宅では24時間入れ替え中の8620や9600の音が聞こえたのも懐かしい思い出であります。このテーマですでに某誌に掲載済みなのでなるべく未発表のものを掲載する予定です。

オール1…これが通知票の成績だったらタイヘン!Funny car numbers

  • 111
     ここでは車輌番号がオール1のゾロメ番号を集めて見ました。果たして全部お判りでしょうか?

ヘンな番号の車輌 10/25追 Funny car nummbers(2)

  • 南海貴誌川線 モハ1234
    先にオール1の番号の車輌を掲載いたしましたが、ここではそれ以外の、珍ナンバーの車輌をご紹介いたします。我ながら相当なドアホとは思いつつ、たまたま見かけた珍番号車の写真を集めて見ると、あきれ返るばかりでありますが、結局その番号の形式の由来などを調べる事となりまして、結構アホとは言えない「勉強」にはなっている所であります。とくに外国の車両に関してはなおさらであります。

ドイツ形蒸気機関車を追って Steam in Germany 1/29追加

  • 01-118 西ドイツ フランクフルトで
     ドイツに大形本線蒸気機関車を撮影に行くようになったのは、1978年の事です。この時は主に現役で活躍していた東ドイツが最も印象に残っています。一方西ドイツのドイツ連邦鉄道では1977年に蒸気機関車の運転を廃止、以後連邦鉄道では蒸気機関車の運転は一切まかりならぬ!と言う規則を制定してしまいました。このためたとえ01形の様な大形の蒸気機関車であっても西ドイツ国内では、保存鉄道や私鉄の線路でしか運転する事しか出来ない状態となったのです。どうしても本線運転をしたければオーストリアなど、他国へとDBのディーゼル機に牽引されて有火回送して走らせるような有様でした。しかし1985年のドイツ鉄道開業150周年に際しては、この考えを改め、少なくとも連邦鉄道の所有機に関しては本線上の蒸気運転が行なわれるようになりました。その後序じょに「規制緩和」が行なわれて、更には東西ドイツの統合などの事件も加わり、現在のようなドイツ国内を蒸気機関車が走り回るような状態となったのです。ここでは旧東ドイツ時代以外のドイツ型蒸気機関車の活躍する姿を順不同に掲載いたします。 **ただ今このコーナーは制作中であります。従って写真が順番通りには出てこない場合がありますので、見本の写真をご覧の上、お好みの写真をご覧戴くようお願い致します。また写真の一部にスキャナーの際に於ける不手際により、ピントが甘かったり、退色の激しいものもありますが、大半の写真は6×6版の白黒で同時に撮影してありますが、ここではその点をお含みの上、ご覧下さい。 Dear friends. I will intoduce German steam without East Germany.If you hope to look East German Steam,please look "Doutche Dampf Pepublik DDR" in this home page. Photos in this page,inculding east german area after closuer of East Germany. I have many another photos whith out this corner. Now I hope to intoduce more photos if I can. But now I'm very busy of my educationl working.So please waite untill addtional new phtos. Thank you.

ドイツのプランダンプフGerman  Plandampf Aug-1993

  • ザールフェルトに憩う01-137
     東ドイツの消滅と前後して、ドイツではプランダンプフと言う新しい蒸気運転が行なわれるようになりました。この方式は、通常DL等が牽引する定期列車を蒸気機関車牽引により運転する!と言うもので、当初はおもに旧東ドイツ地域において、年間十数回にわたって様々な地域で行なわれました。東ドイツではベルリンの壁崩壊直前まで蒸気機関車が営業運転に用いられていた為、全国各地において蒸気運転に必要な設備が残されていた為、蒸気機関車による迅速な運用が可能だったわけです。現在でも年に数回このようなイベントが行なわれているようです。1993年8月13~15日にかけてザールフェルトを起点に行なわれたプランダンプフは01-130、01-531、03-1010、41-1231の4機によるもので旧東ドイツを代表する動態保存の急客機01形原形、近代改造の01-5形、3シリンダーの03-10形をそろえ、更に急行用貨物機41形も登場する豪華なものでありました。3日間に渡りこれらの機関車が早朝から深夜まであちこちを走り回るので、それこそ食事を撮るヒマもないほどに、あちこち追い掛け回したものです。なお、この時の様子は鉄道ジャーナル1994年8月号に紹介してありますので、併せてご覧頂ければ幸甚であります。 Plan Dampf sarounding Saalfeld area in 8-1993 Namely,Steam special for reguror time tabuls.

ドイツ蒸気機関車博物館(DDM)1/31UP

  • 50-3690
    この博物館はDeutche Dampf Museumといい、直訳すると「ドイツ蒸気博物館」である。ニュルンベルクの北方約100キロのノイエンマルクト・ヴィルスベルクにあり、クラシック音楽のファンには、バイロイトの近所と言った方が分かりやすいかも知れない。1977年に開館し、翌年小生も訪れた事がある。2007年5月、開館30周年のイベントがあると言うので小生も29年ぶりに訪れたが、予定していたフランクフルトすからの01-118牽引の特別列車は中止となり、もう一本前日に訪れた52-8形は、途中でスピードの出し過ぎのためロッドがいかれて、その後の特別運転はキャンセルになった。蒸気機関車はナローを含めて32機も保有し、ラウンドハウスに並んだコレクションは梅小路をしのぐもので、主にドイツ連邦鉄道の蒸気機関車を保存している。ドイツにはこのようなもと機関区を利用した大規模な博物館が各地にある(小生が訪れた事のある場所だけでも7箇所)のは驚きである。

東ドイツの保存機関車  Museum steams in East Germany

  • ナロー機 ザクセン・マイヤー機136号
     東ドイツは歴史的車輌の保存には極めて熱心で、西ドイツではとっくの昔に解体された形式も経済発展の遅れにより、比較的後まで蒸気機関車を使い続けた為、歴史的価値のある貴重な形式のコレクションは西ドイツを遥かに上回っていた。ここでは1978年8月に開催されたドレスデン近郊のラーデボイル・オストに於ける車輌展示会に登場した保存車両をご覧いただく事にする。なお機関車の解説には篠原正瑛先生著「全盛時代のドイツ蒸気機関車」を参照したが、一部に不明な点もあるので、ドイツ語の書物を暇な時に改めて参照の上、補筆・訂正させて頂くつもりである。

東ドイツに蒸気機関車を追ってDeutche Dampf Republik? (DDR) 1-31追

  • Dr_saalfeld_15
     ベルリンの壁が崩壊して足掛け20年。いまや体験する事の出来なくなった社会主義国内での撮影旅行の思い出。 ☆このコーナーはまだまだ大量に写真を入れる予定ですのでお楽しみに!

ドイツ統合前夜 1/31追 Border West and East Germany.

  • プロプスツェラの国境
     1989年11月16日のベルリンの壁崩壊は小生にとっても極めて感慨深い出来事でした。初めて「東ドイツ」と言う国をこの目で目の当たりにしてから10数年、その間に8回ほど訪問する機会がありました。社会主義と言う、我々の眼から見るとまったく矛盾に満ち溢れた世界に接し、そこに暮らす人々の裏と表をそつなく使い分けた生活ぶりにも大きな驚きを抱いたのはもとより、鉄道を取り巻くさまざまな姿に大きな魅力を感じました。あのカベの崩壊によって今までの常識が180度ひっくり返った様子もまた強烈な印象として心の中に残っています。そういう若干、鉄道趣味の範囲からやや外れた観点からこのページを作って行きたいと思っています。今後もこのページに相応しい写真を発見次第随時追加して行くつもりです。

スイスのベルニナ線を訪ねて。 Bernina line of Raetian Railways

  • アルプスの絶景をゆく
    スイスにあるレーティッシェ・バーンのベルニナ線は、スイス国境に近いイタリアのチラノ(海抜約400m)から70‰の連続急勾配で海抜2257mのアルブラ峠を越えて、有名なリゾート地であるサン・モリッツまでの延長約60.6㎞の登山鉄道である。途中長大トンネルやラック式を用いずにアルプスの急峻を越える唯一の鉄道で、沿線の息をのむような見事な車窓風景は世界的にも広く知られている。峠のオスピッツォ・ベルニナ駅は、ラック式ではない通常の鉄道としてはヨーロッパで最高地点の駅である。この付近で撮影する時には余り走り回ったりすると空気が薄い為、あとで大変な事になるから注意を要する。日本の箱根登山鉄道建設の際にこのベルニナ鉄道を模範としたことは、日本でも有名な話で、現在両社は姉妹鉄道となっている。                              この線には1978年以来たびたび訪れ、J誌などに本邦初公開の記事でご紹介したものもあるが、現在ではすっかり有名になってしまった。ここでは1978年当時と最近の情景を比較しながらご覧いただくことにしよう。

イギリスの蒸気機関車 British Steam 

  • Ex.LMS Class Brack 5 No.4767
     イギリスの蒸気機関車を初めて撮影に出かけたのは、比較的遅く1989年の事です。最初に見たイギリスの鉄道の印象は、車輌限界が著しく小さく、昔の阪神電車みたい…と言えば少々オーバーですが少なくとも左右の寸法は東京の地下鉄銀座線程度ではないかと言う印象です。そんな所に走る蒸気機関車はとても小さく、日本の方が遥かに大きく見えます。そう言う機関車であっても軸重は20トンを上回り、出力も日本のC62を遥かに凌ぎ戦前において最高速度160km/h運転を行なっていたのですから、まさに驚きです。なんと言ってもイギリスの蒸気機関車の魅力は、磨き上げられた常に光り輝くように美しく端正な姿に尽きるようです。もともと小生はドイツの蒸気機関車にのめり込んでいましたが、それとはひと味ことなった魅力を感ずるようになりました。この20年間に撮りためた写真をご覧下さい。

最近の鉄道旅行から…後編Trip in JP 2008

  • 大軌元デボ1形
    2008年10月8日から16日まで北陸経由で大阪まで「良い子切符」で往復した時のレポートです。

最近の鉄道旅行から…前編Trip in Jp 2008

  • 2000系マルーン編成特急
     2008年10月8日から16日までの間、「よい子切符」で北陸経由で関西地区の私鉄を回ってきた中より、一部をご笑覧に入れます。本当はもっと回ってきたかったのですが、17日に音楽会に行く都合上切り上げました。

パノラマカーを追って Panrama Cars in Nagoya Railways 12/27追

  • ……
     取りあえずは最近の写真をご覧に入れます。

京福福井・部分廃止前夜の越前本線 Memorial local near Fukui 1973

  • 京王電車と阪神電車
     昭和49年8月12日をもって越前本線の勝山・京福大野間が廃止となった。車輌の近代化のため南海電鉄から昇圧により不要となったモハ1201形16両とモハ11001形8両を大量導入したため、途中の下新井トンネルの通過が不可能な事が理由の一つとして挙げられていたが、トンネルの改修に莫大な費用をかけて存続させるほどの意義も無かったのであろう。当時勝山までは日中30分ヘッド、京福大野までは1時間ヘッドの運転で、そこそこの乗客は乗っていた。 Memorial reports of Keifuku Elec.co. Fukui branch systems abandoned pert of Echizen main line in 12-8-1974.

京福福井の電車続編 Memorial local in Fukui3/19追

  • ホクハ32
     続編では色々な写真を今後増やす予定です。 Memorial Photos of Keifuku Elec.co.Fukui Branch survices from year 1974 to about 1985.

一本のフィルムから My memorial photos in 1970

  • 南武線快速電車登場!!
     このフィルムはブローニー・セミ版の16コマで、カメラはコニカのパールⅢである。昭和44年12月~昭和45年3月という、かなりの間が開いているが、勉学熱心の余り?何年か浪人していたので、流石にこの時期は余り撮影をしていないことが明白である。当時南武線沿線に住んでいたので、快速登場前後の情景は容易に撮影する事が出来たのである。

昭和46年元旦の初詣 New Year Steam in Hokkaido 1971

  • C62発車!
    My memorial phots from new year day.1976.

想いでの小田急  Memorial of Odakyu Lines2/4追

  • 5000系の試運転
     昭和30年代初頭において、関東の私鉄でもっともスピードの速い電車は小田急でした。しかしその後に於ける沿線人口の爆発的な増加により、スピードアップどころの騒ぎではなくなり、通勤輸送対策に終われる結果となってしまったのは大変残念な事と言えます。最近になってやっと複々線の延長により段々とスピードが回復しつつありますが、京浜急行の驚くべきスピードアップに比べると、イマイチの感は否めない所です。一部に掲載のカラーは1968年にエクタクローム・ハイスピードが期限切迫品のため叩き売りをしていたので購入したものですが、それは良いとして、現像料は高額である事を忘れていて、後で困りました。叩き売りフイルムの為、身近な小田急を気楽に撮影しているようです。 11月24日UP

一本のフィルムから My memorial photos in 13th Dec.1967

  • 大阪市電2600形
    ある一本のフィルムの最初から終わりまでの中から順番に選んで並べてみました。昭和42年12月13日の記録です。 You will look at those days, Kintetsu new commers trial running for Railway Fans.
無料ブログはココログ

2009年10月25日 (日)

まもなく開設一周年になります。

 確か昨年の11月4日よりココログを始めました。未だに懸案の掲示板開設には至っていませんが、延べ一万件を上回る(ただし、この数字にはジブンで点検等で見たものも含まれますが…)多くの方にご覧いただき、有り難うございます。怪しげな英文を入れているせいか、結構外国からのアクセスもあります(全体の約5%)。この一週間で10件ほどありますので、無視できない存在となってきました。どうしても英文を付記するのは面倒で、時々手抜きをする事もありますが、何んとか頑張りたく思うところであります。この間ホームページ作成に当たり、数々のご助言を頂いた皆様に厚く御礼申し上げる次第です。20l51967 写真左手は能勢電の20形木造車で1967年撮影。右はストックホルムのロスラクス鉄道と言うナローの郊外電車に活躍した木造車で1988年、まだ現役で走っていました。81987能勢電の撮影後、よもや現役の木造電車に出会えるとは夢にも思わなかったものです。なお、この鉄道は1992年にすべて車両を新車に置き換え、近代化されました。 北欧の木造車のページも作成中なのでご覧下さい。

2009年10月23日 (金)

最近のニュースから

 今年(2009年)8月以降の写真からニュース性の高いものをご覧下さい。詳しくは左手の「2009年、最近の日本での撮影」をクリックしてご覧下さい。

①長野電鉄の千曲川に架かる村山橋梁は道路との併用橋として有名でしたが、道路拡幅の為新たに橋梁を建設し、道路部分は昨年12月に新橋梁に移設、鉄道のほうも来る11月7,8日にこの区間の列車を運休のうえ、新橋梁に移る事になりました。写真は旧橋梁を走行する2001以下の編成で、10月9日の撮影です。新橋梁も道路と併用の単線となります。20019102009

②東急デキ3021、上毛電鉄へ。かつては東急線内で貨物輸送にも活躍したデキ3021も晩年は長津田工場の入換えに用いられてきましたが、このたび上毛電鉄に興し入れ、去る10月18日の大胡車庫の一般公開に際してお披露目が行なわれました。上毛電鉄では車庫の入換えに用いる予定で、ATSが無いので本線には出ないそうです。従って砂利散布用のホキ牽引は従来通りデハ101が今後も牽引するそうです。なお、当日はデハ101が、全線を都合2往復旅客営業しました。

3021104713 ③梅小路で1080を保存。かつて東武鉄道の葛生から出ていた日鉄鉱業羽鶴専用線で活躍していた、もと国鉄1070形1080号機が、このたび梅小路に搬入され、静態保存される事になりました。羽鶴には何度か撮影に行った事もあり、静態保存とは言え、久しぶりに見る古典機の美しい姿は、感慨深いものがありました。108011102009

*新しく「一本のフィルムから」 1988年3月のものを掲載しました。おもに秩父鉄道が写っています。1000388 同時にフランスの141R形蒸気機関車のコーナーも作りました。 

2009年8月27日 (木)

イギリスの蒸気機関車、最近の話題

 イギリスの蒸気機関車を取り巻く最大の話題は、なんと言っても旧LNER(London and North Eastern Railway)582009_3 の二代目A1形蒸気機関車の新製と言えます。旧LNERは東海岸線と呼ばれる、ロンドン・ヨーク・ニューカッスル・エジンバラ間の幹線を主体に営業した戦前のイギリスに於ける4大鉄道の一つです。戦後LNERの主席設計技師に就任したペパーコーンの設計による優れた急行用蒸気機関車で、完成は4大鉄道が英国国鉄に統合後となりました。この形式の保存機は存在せず、新製復元の気運が高まり2008年8月には完成、試運転を経て本年より営業運転の運びとなりました。現在夏のシーズンには毎日曜日にブリストルからタゥトン・エグゼター・ペイントンを経て更に保存鉄道であるペイントン・ダートマウス鉄道に乗り入れる運用にほとんど毎週活躍するほか、その他の特別列車にもリクエストに応じて活躍しています。新製機だけあって大変好調な走りを披露、最高速度は160km/hですが、認可速度は120km/hとなっていますが、時にはとても120km/hとは思えない物凄いスピードで疾走する事もあるようです。

 続いての話題は時を同じくして旧LMS(London Midland and Scottish Railway)で活躍した、コロネーションタイプの6229号機、「ダッチェス オブ ハミルトン」号の流線形復元があります。622082009_3 1938年に誕生したこの機関車はLNERの有名な流線形蒸気機関車、A4形と覇を競い、西海岸線のロンドン・グラスゴー間を主体に活躍しました。戦後はすべて通常形に改造されてしまいましたが、このたび流線形への復元が完成、コークの国立鉄道博物館にその麗姿を現しました。予算の関係で今回は動態にまでは至らずではありますが、いずれは動態とする計画です。

2009年6月19日 (金)

お陰さまで、まもなくカウントは10000回に達します。

Scan20016_2  昨年の7月に、ヤフーのジオログでホームページの作成を開始、おもに近鉄や南海の旧型電車をご紹介いたしましたが、数ヶ月で容量が満杯となりました。http://outdoor.geocities.yahoo.co.jp/gl/onaganrengaw をご参照下さい。ジオログと、当ココログではカウントの方法が著しく異なり、一概には比較は出来ませんが、ジオログのカウントは既に24000を上回っています。昨年11月から当ココログにてホームページの作成を始めました。以来多数の方々にご覧頂いた結果、そろそろアクセス回数が10000を越えそうな状態となりました。今後ともご覧の皆様にお楽しみいただけるように、色々な鉄道写真をご覧に入れる所存であります。よせば良いのに、怪しげな英文を付記した結果、外国の方々からのアクセスも増加致し、驚いている所であります。最近は多少忙しくなったので、当ホームページの作成はややテンポが遅くなりがちで、ましてや英文を併記する作業はサボっていますが、なるべく改善したいところではあります。ココログのデータ解析によると、国内では関西の方からのアクセスが一番多く、それに次いで関東圏からのアクセス回数が肉薄しています。その他全国各地からのアクセスがある事に驚くと共に、英語圏やドイツ語圏、更には中国、韓国そして台湾などからもご覧頂く方も多数いらっしゃいます。果たして10000回目の方はどなたでしょうか?230 もう一つ興味深い事柄として、例えば当欄の「懐かしの阪神電車」をご覧いただく方は多数いらっしゃいますが、ご覧頂いた秒数まで記録されているので、たまには検索いたすと、いわゆる喫茶店電車…851系などより当時のジェットカーを始めとする高性能車をじっくりとご覧になられた方が、以外に多くいらっしゃる事でした。確かに多くの方々は、釣り掛け駆動の電車が100km/h以上の高速で走行していた事をご存知ない筈で、改めて小生も歳をとったものと思う次第ではあります。なお、当欄に掲載の写真ですが、上は常磐線の四ツ倉でのC62牽引の急行列車。下は京急のデハ230形で、六郷橋付近です。 

2009年5月10日 (日)

伊賀神戸、今むかし

516351971  ★お断り コメント欄に心無い文章がある事を見つけました。削除した事は勿論ですが、二度とその方からのコメントは受け付けないつもりですが、お互いに楽しい鉄道趣味の世界を楽しみたいものですネ。

★★上記のお願いにもかかわらず、心無いものが投稿されていました。今後は警察とも連絡の上、然るべき処置を致します。

☆☆最近当ホームページに「ドイツ保存鉄道」で検索されている方がいらっしゃるようなので、ひと言。ドイツの保存鉄道は蒸気機関車だけでも、動態保存機でありながら全検切れの機関車を除く、正しく可動状態のものが、少なくともおよそ250機あります。中でも本線運転用の機関車が多数あり、保存鉄道に乏しい日本の常識とはまったくかけ離れた状態であります。日本の梅小路を上回るような規模の本線運転可能な機関区は小生が訪れただけでも7箇所もあります。更にナローの蒸気鉄道は、旧東ドイツ地域に於ける現役鉄道もあり、ドイツ中の保存鉄道をすべて、一生の間に見て歩くのは不可能な状態と言えます。更に路面電車の保存鉄道…現役を含む…もあり、ドイツ中に博物館を含めると数百箇所はあります。もし情報をお知りになりたければ、www.lok-report.deをご覧になるのが、ドイツ語ではありますが、豊富な情報を得ることが出来ます。www.lok-report.de を開いた次にはlinkを開くと、ドイツはおろか、ヨーロッパの主要な鉄道にアクセスする事が出来ます。ご参考になれば幸いです。もしご質問があれば、当HPのコメント欄↓101005 にご投稿頂ければ、小生のヒマな時にご返事、アドバイスを致す所存であります。 ← 左にある 01-005の写真は、ただ今編集作業中につき、みだりに写真をクリックなされない様にお願い致します。カメラはライカM3,レンズはズミクロン50ミリで1978年8月12日の撮影です。

 ☆☆さて、今年(2009年)のゴールデンウイークには関西方面の電車を撮影に参りました。その際に伊賀神戸で下車、現在では伊賀鉄道となったかつての近鉄伊賀線を主体にかつて撮影したときの事を思い出しながら撮影をいたしまし増した。当然のことながら車両はすべて入れ替わってはいましたが、周囲の風景は40年近く経過した現在もなお、往時を偲ばせる田園風景が残り、大変懐かしく往時を思い出しながらなるべく定点撮影を心がけて撮影いたしましたのでご笑覧下さい。2509  また、別の欄に「2009年ゴールデンウイークの撮影から」も制作中で、神戸電鉄や能勢電などを中心に撮影しました。3509

2009年4月12日 (日)

2009年春の撮影から

 早春から、初夏とも言える最近にかけて撮影したものを、ただ今随時スキャナーが出来次第掲載を始めました。ブルトレの廃止や、名鉄パノラマカーの特別運転。阪神難波線の開通、阪急嵐山線の車両変更等々色々な出来事がありましたが、良い子切符で名古屋や大阪方面に行って参りました。23091409 左側のインデックス、一番下の欄を開くとご覧になれます。

2009年3月18日 (水)

お陰さまでカウンターは7000回を越えました。

 去る11月初旬にココログのホームページを始めて5ヶ月余り、先ほどたまたま偶然に写真追加の出来栄えを確認する為に開いた所、カウンターは6999だったので、即刻開きなおしたらめでたく7000の番号が出てきました。記念に画面の写真を撮影しておきました。本日23時36分のことであります。その後にアクセス状況を調べますと、直前にご覧になった方がいらっしゃるようなので、ヒョットしたら7000を狙っていらっしゃったのかしら?さすればどなたかは存じませんが、その方にはお詫びしなくてはなりません。

 さて本日は懐かしの阪神電車と、続京福福井について、それぞれ写真の追加作業中であります。私事ですが、年度末になって急遽忙しくなってきましたので、本日以降、しばらくパソコンのお遊びから離れるかも判りませんが、時折覗いてみてくださるようにお願い申し上げます。2009-3-18-23-50

続きを読む "お陰さまでカウンターは7000回を越えました。" »

2009年3月 6日 (金)

小生のホームページをご覧頂き、有り難うございます。

  当ホームページのカウンターは6000を遥かに越えました。ご覧戴いた方々の都道府県別のデータと共に、外国からのアクセスも少数ながらありまして、怪しげなる英語のキャプションを付けた結果であると、思っています。都道府県別のデータでは、時により関西と関東の方がからのアクセス数が異なり、「東北本線」をご披露した時には、一週間辺りのアクセス数は、関東地域の方々が多かったのですが、最近、「阪神電車」を発表すると関西の方々が多数ご覧になっていることが判明致しました。前述のように怪しげなる英語のキャプションの結果と思われますが、英語、中国語、ドイツ語等のパソコンからご覧戴いた方々もいらっしゃいますので、少なくとも怪しげではあっても、英語のキャプションを用いていた事は、決してまちがいではなかったようです。

 もう一つ、小生がホームページを作成しながら気がついたことでありますが、小生も書物の編集に携わった経験がありますし、ただ今は海外鉄道研究会の会誌の編集担当に久しぶりになった経験から、あえて言いますが、どのような書物であれ、一般的にページ数とか、さらにもっとも重大なる問題は費用等の制約、更にその中で、いかに読者にアピールすべきか…?と言う所から「グラフィック・デザイン」と言う、書物には限りませんが、芸術的な分野が登場したことは、言うまでもないことであります。 ところで、このホームページにおいては、その様な制約があまり無いので、グラフィック・デザインと言うか、そういう事をあまりご存知ではない…と言うか、小生に言わせると、そこまではご存知でない商業誌の編集者たちの常識に対して、多少ピントのボケた写真も小生ホームホームページに掲載いたしたところ、予想外にご覧頂いた皆様から…恐らく昔の写真かも判りませんが、大変ご注目をいただいたのであります。このデータには小生も予想していなかった事柄であり、小生にとって大変な興味を抱く所であります。 …と言う事で、小生は書物の編集とは異なるメディアを通じた新しい編集の実験もしてみたいと思っています。なお小生は海外鉄道研究会に30年以上昔から会員でありまして、最近になり、再び会誌の編集を担当する事になりました。 海外鉄道研究会のほうもよろしくお願いいたします。 海外鉄道研究会に関するお問い合わせに関しては、小生は担当外ですが、下のにあるコメント欄に記述頂ければ善処致す所であります。但し過去には公序良俗に反する物や、ナンとか詐欺まがいのメールも散見されていましたので、その様な心無いメールが見受けられ19649151るのなら、直ちに閉鎖いたします。86掲載の写真は、上記の本文とは関連性はありませんが、写真の左は、旧東海道本線を走る151系特急「つばめ」であります。 右は関西本線平野付近の8620であります。

続きを読む "小生のホームページをご覧頂き、有り難うございます。" »

2009年2月28日 (土)

懐かしの阪神電車

 間もなく阪神電車難波線が開通いたします。思えば45年近く以前に、一旦は着工しながら沿線住民の騒ぎにより工事を中止したものが、やっと実現に漕ぎ着けたものです。その当時、昭和40年夏に阪神本線から引退した851形等の小形車を主体にまとめてみました。更には廃車となった後の姿もすべてではありませんがご紹介致しています。今後更に昔のフィルムを見つけ次第追加いたす予定です。Scan20461  *左のインデックス、遥か下↓←にありますのでクリックしてみてください。

Hanshin Electoric Railways,it's one of the high speed Inter-Urban survices between Osaka and Kobe.I will intoroduce of "Old good days" about 40 or more years ago.Please look at bottom of left side index .↓← You will find english letters ,"Hanshin elec. railways",please click that point ,you will look many interresting photos. Thank you.

2009年2月 5日 (木)

東北本線直流区間

 東北本線の列車をマジメに撮影する様になったのは1973年頃だったでしょうか?当時は全国各地に蒸気機関車が活躍していたので、「SLブーム」などと騒がれた時代でありました。元々電気車の写真を沢山撮影していたのですが、東京地域にはさほど小生がのめりこむほどの魅力的な電車はほとんど無く、そうしている内にEF57にのめりこむようになってしまいました。幼い頃に乗車した特急「つばめ」の牽引機がEF57だった事も興味を抱かせた理由のひとつです。 昭和50年に蒸気機関車が全廃となり、同時にEF56も引退しましたが、これと引き換えに多くのファンが東北線に集まるようになって、小生の足は次第に遠のくようになり、また丁度この時代からEF57の運用はだんだんと減少を始めた事も一因でかも知れませんが、この頃から興味の対象は外国に移って行ったのが最大の理由であった様です5657101974

«河内の蒸気機関車のコーナーを制作中です。

最近のトラックバック

2009年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

ウェブページ