南海モハ1210の変遷
前回のモハ1217と同様なスタイルのモハ1210を撮影した戦前のネガもあります。かなり傷が入ってしまいましたが往時の姿をしのぶ事が出来ます。カラーでは無いので良くは判りませんが台車は車体よりも明るい塗装であったようです。パンタグラフは上スティングハウスタイプの三菱製ですが、戦後はタスキをPS13風の横棒に改造していますが、大型の外枠や横型碍子はそのままなので模型を作るときにはPS13を付けたりしないように注意が必要です。
次は戦後の昭和42年9月の撮影で、正面両脇のベンチレーターを取り外した以外はほぼ戦前のままの姿です。南海本線の下り普通ですが二両目のクハに比べて窓位置が高くなっています。窓が大きくてスマートなのは良いのですが、荷物棚が高すぎると言う苦情があったので次の増備からは窓位置を全体的に下げたデザインにしたそうです。
三番目の写真は貴志川線に転属して、廃車直前の1994年12月の姿です。ナンバーの位置や雨樋の設置などイメージはかなり変化しましたが窓の大きい精悍なスタイルは残っていました。南海の旧型車はクハも含めてほぼすべてが両運転台付きでしたが戦後の更新の際に、クハは難波川の運転台を撤去、モハは奇数者は難波側、偶数車は和歌山市、高野山側の運転台を用いる片側運転台に多くは改造されました。
以上ご紹介しましたモハ1217とモハ1210がくしくも連結して走る姿をご覧に居れます。貴志川線大池遊園で1978年5月撮影です。
*このすぐ下にある「モハ1217の変遷」…続きを読む‥をクリックすると写真が出てきます。
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