南海電車モハ1217の変遷
南海モハ1217は昭和11年に誕生した18m級の中型車で、南海本線や高野線の主にローカル運用に活躍しました。昭和48年に電圧を600vから1500vに昇圧した為、貴志川線に転属して1995年(平成7年)まで活躍を続けました。窓の大きな直線を重視したスマートなデザインは戦前の南海を代表するものと言えます。
一番目の写真は高架工事中の難波を発車する本線の急行電車です。この電車は100馬力の低出力のモーター使用し、しかもトレーラーは15mの電1形木造車を鋼体化したもので台車はホイルベースの短いブりル27GE1 形と言う高速運転には不向きなものですからラッシュ時とは思われますが、急行ダイヤでちゃんと走れたかは疑問であります。正面屋根両側にあるベンチレーターも戦前の南海電車の特徴の一つでした。この電車の製造年が昭和11年で高架線の一部完成が昭和12年なので、この写真は昭和11年のモハ1217の完成直後の撮影と思われます。 故 永野元義 撮影
次は高野線の萩原天神・北野田間で、上り直行難波行き先頭車がモハ1217です。戦前に比べて正面屋根のベンチレーターが撤去された程度でほゞ原形を保っています。中間の2両は木造車の簡易鋼体化車で、形態は著しく異なっていますが、制御回路やモーターは全て揃っているので、走れるわけであります。 1965-8
最後は貴志川線で余生を送る晩年の姿で、車体の外板張替と溶接化、ドアステップの撤去など塗装も含めて一層スマートな姿になりました。パンタグラフは廃車の11001系から流用、のちにナンバーの表記位置の変更や雨樋の新設などで形態は著しく変化しましたが、1995年まで59年間も活躍を続けました。 1978-5 大池遊園
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