南海モハ1254の変遷
南海鉄道は戦前の昭和13年に高野山への観光電車を計画し、展望車クハ1900を製造するとともにペアとなるオール転換クロスシートの15m級電動車モハ1251形を製造しました。しかし戦時体制となって観光電車は戦後の昭和26年に展望車クハ1900とロングシートの一般形電動車による特急「こうや」号が登場し、更に翌年からは電動車もクロスシートに整備したモハ1251形、1251,1252、そしてこの1254を専用車に指定し活躍を始めました。写真は昭和13年頃の堺東車庫で故父永野元義の撮影です。
昭和36年に20001系デラックスズームカー、「新こうや」号の完成によってモハ1251形はロングシートに格下げと共に更新修繕が行われ、偶数番号の1254は難波側の運転台を撤去されましたが、リベットを廃止したスマートな姿となり弱め界磁率を52%まで引き上げて50‰の勾配区間と平坦区間での高速運転に適合できるようになりました。このため10‰の上り勾配では85km/hで走行可能となりました。30両余りの1251形を約10年がかりで改造したものの、前者の改造が完成し、ズームカートほぼ肩を並べて走れるようになってスピードアップが図られたものの、1500vへの昇圧工事の為1970年頃にはほとんどの電車が廃車されました。写真は1254が50‰の登山区間である紀伊細川で上りのズームカーとの交換光景です。
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