懐かしの阪神電車 Hanshin Elc.Railways.3/20追

  • 7800系急行「うずしお」号
     思えば昭和40年の夏、阪神本線から戦前に活躍した小形の電車は全て引退いたしました。丁度その当時は阪神電車も伝法線を西九条まで延長し、難波までの延長計画も具体化したのですが、当時の延長計画のあった区間で、沿線の住民が地下駅の入り口をもっと作れ!等と騒いだ所、阪神の社長は「それなら新線の建設はヤンペ!」と言うことで、建設機材を引き上げて工事は頓挫。あの当時から40年以上になってやっと阪神電車が、このたび難波まで走る事になりました。そこで小生もワルノリついでに、昔の阪神電車に活躍し急カーブを猛スピードで突っ走った小形電車をはじめとする思い出の姿を、ご紹介致したします。それから小生は大阪生まれですが、親戚など大半は南の南海や近鉄地域であった為、阪神電車の写真はさほど多く撮影していません。昭和40年当時はまだ高校生だったので機材や資金的にも、そして写真の腕前もイマイチであったので予めご了承願います。 Hanshin Electoric Railways,it's one of the high speed Inter-Urban survices between Osaka and Kobe.I will intoroduce of "Old good days" about 40 or more years ago.Please click on any photos in this index. You will find some englich reports in this sight! Thank you.

能勢電の木造車たち Nose Tram line in 1967 追5/17

  • ポール姿の29
    昭和41年能勢電ではポール集電からパンタグラフに付け替え、もと新京阪の木造車もパンタグラフとなり、往年千里山線で活躍していた様な姿が復活した。これは阪急からの全鋼車320形の入線に伴うもので、この電車が能勢電の貧弱な軌道を走れるものか?と危惧させられたが、実際に走り出した姿を見て驚いた。木造車は昭和42年には運転を中止、これを機会に能勢電は軌道強化、更には付け替えなど現在に至る近代化が序じょに始まる事になる Nose electoric tram system now,Nose Electoric Ry.co.is suberbs in Osaka city. At that times, wood cars were still active.But now,it'sturned to very modern railways.

能勢電のその後 Nose Elc.Ry. old to now.11/14追

  • 妙見口付近
     木造電車とのかかわりは、僅か2年程であったが小生が思い切り撮影出来た"日本における"最後の存在であった。その後もたまには能勢電をたずねては見たが、昇圧により阪急の大形車が入線したのは良いとして、怪しげな塗装が気に喰わず、たまに訪れたとしても妙見口まで一往復する程度であった。所が数年前から阪急色に塗り替えが始まったとたんに、またまた能勢電沿線をほっつき歩くようになった。ここでは320形の続きから最近の状況までをご紹介するつもりである。

東北本線直流区間 E-locos in Tohoku Line2/27追

  • 臨時特急あけぼの
    上野から黒磯までの直流区間にはかつてFE577やEF58などの旧形電気機関車が長距離旅客列車の牽引に幅広く活躍を続けていました。とくにEF57は独特の風貌が魅力的で、EF58と共通運用で最後の華やかな活躍を続けていました。1973年から1976年ごろまでに撮影した全盛時代の姿をご紹介いたします。

河内の蒸気機関車 Steam near Osaka 2/5追

  • C5779牽引の下り急行「大和」
     昭和40年から数年間、竜華機関区のすぐ近所に住んで居たときの写真からご紹介いたします。自宅では24時間入れ替え中の8620や9600の音が聞こえたのも懐かしい思い出であります。このテーマですでに某誌に掲載済みなのでなるべく未発表のものを掲載する予定です。

オール1…これが通知票の成績だったらタイヘン!Funny car numbers

  • ウイーン市電 111       8-1978
     ここでは車輌番号がオール1のゾロメ番号を集めて見ました。果たして全部お判りでしょうか?

ヘンな番号の車輌  Funny car nummbers(2)

  • JR四国 スロフ123 
    先にオール1の番号の車輌を掲載いたしましたが、ここではそれ以外の、珍ナンバーの車輌をご紹介いたします。我ながら相当なドアホとは思いつつ、たまたま見かけた珍番号車の写真を集めて見ると、あきれ返るばかりでありますが、結局その番号の形式の由来などを調べる事となりまして、結構アホとは言えない「勉強」にはなっている所であります。とくに外国の車両に関してはなおさらであります。

ドイツ形蒸気機関車を追って Steam in Germany 1/29追加

  • 01-118 西ドイツ フランクフルトで
     ドイツに大形本線蒸気機関車を撮影に行くようになったのは、1978年の事です。この時は主に現役で活躍していた東ドイツが最も印象に残っています。一方西ドイツのドイツ連邦鉄道では1977年に蒸気機関車の運転を廃止、以後連邦鉄道では蒸気機関車の運転は一切まかりならぬ!と言う規則を制定してしまいました。このためたとえ01形の様な大形の蒸気機関車であっても西ドイツ国内では、保存鉄道や私鉄の線路でしか運転する事しか出来ない状態となったのです。どうしても本線運転をしたければオーストリアなど、他国へとDBのディーゼル機に牽引されて有火回送して走らせるような有様でした。しかし1985年のドイツ鉄道開業150周年に際しては、この考えを改め、少なくとも連邦鉄道の所有機に関しては本線上の蒸気運転が行なわれるようになりました。その後序じょに「規制緩和」が行なわれて、更には東西ドイツの統合などの事件も加わり、現在のようなドイツ国内を蒸気機関車が走り回るような状態となったのです。ここでは旧東ドイツ時代以外のドイツ型蒸気機関車の活躍する姿を順不同に掲載いたします。 **ただ今このコーナーは制作中であります。従って写真が順番通りには出てこない場合がありますので、見本の写真をご覧の上、お好みの写真をご覧戴くようお願い致します。また写真の一部にスキャナーの際に於ける不手際により、ピントが甘かったり、退色の激しいものもありますが、大半の写真は6×6版の白黒で同時に撮影してありますが、ここではその点をお含みの上、ご覧下さい。 Dear friends. I will intoduce German steam without East Germany.If you hope to look East German Steam,please look "Doutche Dampf Pepublik DDR" in this home page. Photos in this page,inculding east german area after closuer of East Germany. I have many another photos whith out this corner. Now I hope to intoduce more photos if I can. But now I'm very busy of my educationl working.So please waite untill addtional new phtos. Thank you.

ドイツのプランダンプフGerman  Plandampf Aug-1993

  • ザールフェルトに憩う01-137
     東ドイツの消滅と前後して、ドイツではプランダンプフと言う新しい蒸気運転が行なわれるようになりました。この方式は、通常DL等が牽引する定期列車を蒸気機関車牽引により運転する!と言うもので、当初はおもに旧東ドイツ地域において、年間十数回にわたって様々な地域で行なわれました。東ドイツではベルリンの壁崩壊直前まで蒸気機関車が営業運転に用いられていた為、全国各地において蒸気運転に必要な設備が残されていた為、蒸気機関車による迅速な運用が可能だったわけです。現在でも年に数回このようなイベントが行なわれているようです。1993年8月13~15日にかけてザールフェルトを起点に行なわれたプランダンプフは01-130、01-531、03-1010、41-1231の4機によるもので旧東ドイツを代表する動態保存の急客機01形原形、近代改造の01-5形、3シリンダーの03-10形をそろえ、更に急行用貨物機41形も登場する豪華なものでありました。3日間に渡りこれらの機関車が早朝から深夜まであちこちを走り回るので、それこそ食事を撮るヒマもないほどに、あちこち追い掛け回したものです。なお、この時の様子は鉄道ジャーナル1994年8月号に紹介してありますので、併せてご覧頂ければ幸甚であります。 Plan Dampf sarounding Saalfeld area in 8-1993 Namely,Steam special for reguror time tabuls.

ドイツ蒸気機関車博物館(DDM)1/31UP

  • 50-3690
    この博物館はDeutche Dampf Museumといい、直訳すると「ドイツ蒸気博物館」である。ニュルンベルクの北方約100キロのノイエンマルクト・ヴィルスベルクにあり、クラシック音楽のファンには、バイロイトの近所と言った方が分かりやすいかも知れない。1977年に開館し、翌年小生も訪れた事がある。2007年5月、開館30周年のイベントがあると言うので小生も29年ぶりに訪れたが、予定していたフランクフルトすからの01-118牽引の特別列車は中止となり、もう一本前日に訪れた52-8形は、途中でスピードの出し過ぎのためロッドがいかれて、その後の特別運転はキャンセルになった。蒸気機関車はナローを含めて32機も保有し、ラウンドハウスに並んだコレクションは梅小路をしのぐもので、主にドイツ連邦鉄道の蒸気機関車を保存している。ドイツにはこのようなもと機関区を利用した大規模な博物館が各地にある(小生が訪れた事のある場所だけでも7箇所)のは驚きである。

東ドイツの保存機関車  Museum steams in East Germany

  • ナロー機 ザクセン・マイヤー機136号
     東ドイツは歴史的車輌の保存には極めて熱心で、西ドイツではとっくの昔に解体された形式も経済発展の遅れにより、比較的後まで蒸気機関車を使い続けた為、歴史的価値のある貴重な形式のコレクションは西ドイツを遥かに上回っていた。ここでは1978年8月に開催されたドレスデン近郊のラーデボイル・オストに於ける車輌展示会に登場した保存車両をご覧いただく事にする。なお機関車の解説には篠原正瑛先生著「全盛時代のドイツ蒸気機関車」を参照したが、一部に不明な点もあるので、ドイツ語の書物を暇な時に改めて参照の上、補筆・訂正させて頂くつもりである。

東ドイツに蒸気機関車を追ってDeutche Dampf Republik? (DDR) 1-31追

  • Dr_saalfeld_15
     ベルリンの壁が崩壊して足掛け20年。いまや体験する事の出来なくなった社会主義国内での撮影旅行の思い出。 ☆このコーナーはまだまだ大量に写真を入れる予定ですのでお楽しみに!

ドイツ統合前夜 1/31追 Border West and East Germany.

  • プロプスツェラの国境
     1989年11月16日のベルリンの壁崩壊は小生にとっても極めて感慨深い出来事でした。初めて「東ドイツ」と言う国をこの目で目の当たりにしてから10数年、その間に8回ほど訪問する機会がありました。社会主義と言う、我々の眼から見るとまったく矛盾に満ち溢れた世界に接し、そこに暮らす人々の裏と表をそつなく使い分けた生活ぶりにも大きな驚きを抱いたのはもとより、鉄道を取り巻くさまざまな姿に大きな魅力を感じました。あのカベの崩壊によって今までの常識が180度ひっくり返った様子もまた強烈な印象として心の中に残っています。そういう若干、鉄道趣味の範囲からやや外れた観点からこのページを作って行きたいと思っています。今後もこのページに相応しい写真を発見次第随時追加して行くつもりです。

スイスのベルニナ線を訪ねて。 Bernina line of Raetian Railways

  • ベルニナ峠をゆく夏場の臨時列車
    スイスにあるレーティッシェ・バーンのベルニナ線は、スイス国境に近いイタリアのチラノ(海抜約400m)から70‰の連続急勾配で海抜2257mのアルブラ峠を越えて、有名なリゾート地であるサン・モリッツまでの延長約60.6㎞の登山鉄道である。途中長大トンネルやラック式を用いずにアルプスの急峻を越える唯一の鉄道で、沿線の息をのむような見事な車窓風景は世界的にも広く知られている。峠のオスピッツォ・ベルニナ駅は、ラック式ではない通常の鉄道としてはヨーロッパで最高地点の駅である。この付近で撮影する時には余り走り回ったりすると空気が薄い為、あとで大変な事になるから注意を要する。日本の箱根登山鉄道建設の際にこのベルニナ鉄道を模範としたことは、日本でも有名な話で、現在両社は姉妹鉄道となっている。                              この線には1978年以来たびたび訪れ、J誌などに本邦初公開の記事でご紹介したものもあるが、現在ではすっかり有名になってしまった。ここでは1978年当時と最近の情景を比較しながらご覧いただくことにしよう。

イギリスの蒸気機関車 British Steam 

  • Ex.LMS Class Brack 5 No.4767
     イギリスの蒸気機関車を初めて撮影に出かけたのは、比較的遅く1989年の事です。最初に見たイギリスの鉄道の印象は、車輌限界が著しく小さく、昔の阪神電車みたい…と言えば少々オーバーですが少なくとも左右の寸法は東京の地下鉄銀座線程度ではないかと言う印象です。そんな所に走る蒸気機関車はとても小さく、日本の方が遥かに大きく見えます。そう言う機関車であっても軸重は20トンを上回り、出力も日本のC62を遥かに凌ぎ戦前において最高速度160km/h運転を行なっていたのですから、まさに驚きです。なんと言ってもイギリスの蒸気機関車の魅力は、磨き上げられた常に光り輝くように美しく端正な姿に尽きるようです。もともと小生はドイツの蒸気機関車にのめり込んでいましたが、それとはひと味ことなった魅力を感ずるようになりました。この20年間に撮りためた写真をご覧下さい。

最近の鉄道旅行から…後編Trip in JP 2008

  • 大軌元デボ1形
    2008年10月8日から16日まで北陸経由で大阪まで「良い子切符」で往復した時のレポートです。

最近の鉄道旅行から…前編Trip in Jp 2008

  • 2000系マルーン編成特急
     2008年10月8日から16日までの間、「よい子切符」で北陸経由で関西地区の私鉄を回ってきた中より、一部をご笑覧に入れます。本当はもっと回ってきたかったのですが、17日に音楽会に行く都合上切り上げました。

パノラマカーを追って Panrama Cars in Nagoya Railways 12/27追

  • 犬山橋梁を渡る特急「北アルプス」
     取りあえずは最近の写真をご覧に入れます。

京福福井・部分廃止前夜の越前本線 Memorial local near Fukui 1974

  • 勝山の夜 1974-8-8
     昭和49年8月12日をもって越前本線の勝山・京福大野間が廃止となった。車輌の近代化のため南海電鉄から昇圧により不要となったモハ1201形16両とモハ11001形8両を大量導入したため、途中の下新井トンネルの通過が不可能な事が理由の一つとして挙げられていたが、トンネルの改修に莫大な費用をかけて存続させるほどの意義も無かったのであろう。当時勝山までは日中30分ヘッド、京福大野までは1時間ヘッドの運転で、そこそこの乗客は乗っていた。 Memorial reports of Keifuku Elec.co. Fukui branch systems abandoned pert of Echizen main line in 12-8-1974.

京福福井の電車続編 Memorial local in Fukui3/19追

  • モハ2001形による急行三国港行き
     続編では色々な写真を今後増やす予定です。 Memorial Photos of Keifuku Elec.co.Fukui Branch survices from year 1974 to about 1985.

一本のフィルムから My memorial photos in 1970

  • 南武線快速電車登場!!
     このフィルムはブローニー・セミ版の16コマで、カメラはコニカのパールⅢである。昭和44年12月~昭和45年3月という、かなりの間が開いているが、勉学熱心の余り?何年か浪人していたので、流石にこの時期は余り撮影をしていないことが明白である。当時南武線沿線に住んでいたので、快速登場前後の情景は容易に撮影する事が出来たのである。

昭和46年元旦の初詣 New Year Steam in Hokkaido 1971

  • C62発車!
    My memorial phots from new year day.1976.

想いでの小田急  Memorial of Odakyu Lines2/4追

  • GSE 70000系の登場
     昭和30年代初頭において、関東の私鉄でもっともスピードの速い電車は小田急でした。しかしその後に於ける沿線人口の爆発的な増加により、スピードアップどころの騒ぎではなくなり、通勤輸送対策に終われる結果となってしまったのは大変残念な事と言えます。最近になってやっと複々線の延長により段々とスピードが回復しつつありますが、京浜急行の驚くべきスピードアップに比べると、イマイチの感は否めない所です。一部に掲載のカラーは1968年にエクタクローム・ハイスピードが期限切迫品のため叩き売りをしていたので購入したものですが、それは良いとして、現像料は高額である事を忘れていて、後で困りました。叩き売りフイルムの為、身近な小田急を気楽に撮影しているようです。 11月24日UP

一本のフィルムから My memorial photos in 13th Dec.1967

  • 大阪市電2600形
    ある一本のフィルムの最初から終わりまでの中から順番に選んで並べてみました。昭和42年12月13日の記録です。 You will look at those days, Kintetsu new commers trial running for Railway Fans.
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カテゴリー「鉄道」の38件の投稿

2017年2月17日 (金)

南海モハ1254の変遷

1254_l_1938南海鉄道は戦前の昭和13年に高野山への観光電車を計画し、展望車クハ1900を製造するとともにペアとなるオール転換クロスシートの15m級電動車モハ1251形を製造しました。しかし戦時体制となって観光電車は戦後の昭和26年に展望車クハ1900とロングシートの一般形電動車による特急「こうや」号が登場し、更に翌年からは電動車もクロスシートに整備したモハ1251形、1251,1252、そしてこの1254を専用車に指定し活躍を始めました。写真は昭和13年頃の堺東車庫で故父永野元義の撮影です。

 昭和36年に20001系デラックスズームカー、「新こうや」号の完成によってモハ1251形はロングシートに格下げと共に更新修繕が行われ、偶数番号の1254は難波側の運転台を撤去されましたが、リベットを廃止したスマートな姿となり弱め界磁率を52%まで引き上げて50‰の勾配区間と平坦区間での高速運転に適合できるようになりました。このため10‰の上り勾配では85km/hで走行可能となりました。30両余りの1251形を約10年がかりで改造したものの、前者の改造が完成し、ズームカートほぼ肩を並べて走れるようになってスピードアップが図られたものの、1500vへの昇圧工事の為1970年頃にはほとんどの電車が廃車されました。写真は1254が50‰の登山区間である紀伊細川で上りのズームカーとの交換光景です。

125431967

2016年6月29日 (水)

南海モハ1210の変遷

前回のモハ1217と同様なスタイルのモハ1210を撮影した戦前のネガもあります。かなり傷が入ってしまいましたが往時の姿をしのぶ事が出来ます。カラーでは無いので良くは判りませんが台車は車体よりも明るい塗装であったようです。パンタグラフは上スティングハウスタイプの三菱製ですが、戦後はタスキをPS13風の横棒に改造していますが、大型の外枠や横型碍子はそのままなので模型を作るときにはPS13を付けたりしないように注意が必要です。

12101936

 次は戦後の昭和42年9月の撮影で、正面両脇のベンチレーターを取り外した以外はほぼ戦前のままの姿です。南海本線の下り普通ですが二両目のクハに比べて窓位置が高くなっています。窓が大きくてスマートなのは良いのですが、荷物棚が高すぎると言う苦情があったので次の増備からは窓位置を全体的に下げたデザインにしたそうです。

121091967

 三番目の写真は貴志川線に転属して、廃車直前の1994年12月の姿です。ナンバーの位置や雨樋の設置などイメージはかなり変化しましたが窓の大きい精悍なスタイルは残っていました。南海の旧型車はクハも含めてほぼすべてが両運転台付きでしたが戦後の更新の際に、クハは難波川の運転台を撤去、モハは奇数者は難波側、偶数車は和歌山市、高野山側の運転台を用いる片側運転台に多くは改造されました。

1210121994

以上ご紹介しましたモハ1217とモハ1210がくしくも連結して走る姿をご覧に居れます。貴志川線大池遊園で1978年5月撮影です。

12171210_2

*このすぐ下にある「モハ1217の変遷」…続きを読む‥をクリックすると写真が出てきます。

2016年6月11日 (土)

南海電車モハ1217の変遷

南海モハ1217は昭和11年に誕生した18m級の中型車で、南海本線や高野線の主にローカル運用に活躍しました。昭和48年に電圧を600vから1500vに昇圧した為、貴志川線に転属して1995年(平成7年)まで活躍を続けました。窓の大きな直線を重視したスマートなデザインは戦前の南海を代表するものと言えます。

1217
一番目の写真は高架工事中の難波を発車する本線の急行電車です。この電車は100馬力の低出力のモーター使用し、しかもトレーラーは15mの電1形木造車を鋼体化したもので台車はホイルベースの短いブりル27GE1 形と言う高速運転には不向きなものですからラッシュ時とは思われますが、急行ダイヤでちゃんと走れたかは疑問であります。正面屋根両側にあるベンチレーターも戦前の南海電車の特徴の一つでした。この電車の製造年が昭和11年で高架線の一部完成が昭和12年なので、この写真は昭和11年のモハ1217の完成直後の撮影と思われます。 故 永野元義 撮影

121781965
次は高野線の萩原天神・北野田間で、上り直行難波行き先頭車がモハ1217です。戦前に比べて正面屋根のベンチレーターが撤去された程度でほゞ原形を保っています。中間の2両は木造車の簡易鋼体化車で、形態は著しく異なっていますが、制御回路やモーターは全て揃っているので、走れるわけであります。 1965-8

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最後は貴志川線で余生を送る晩年の姿で、車体の外板張替と溶接化、ドアステップの撤去など塗装も含めて一層スマートな姿になりました。パンタグラフは廃車の11001系から流用、のちにナンバーの表記位置の変更や雨樋の新設などで形態は著しく変化しましたが、1995年まで59年間も活躍を続けました。 1978-5 大池遊園

2013年3月 9日 (土)

掲載内容一覧 左欄の写真をクリックして下さい

2012年11月14日 (水)

東横線近況 その2

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 9月に入ると、東京メトロの10000系による定期列車の営業運転が始まった。東横線の08K運用に用いられ、車内の広告や路線図も東急のものに差し替えての運転である。10月になるとメトロ車は7000系となり、製造以来38年も経ち一部は廃車されてインドネシアに身売りしたものもあるような形式ではあるが、特急表示などと言うのは初めてのことであろう。しかし乗り心地は東急車やメトロの10000系よりも良好であった。11月になるとメトロ車は再び10000系となった。また、試運転は東武や西武の車輌の10連などによって引き続き行われている(上から7番目、武蔵小杉で)。その他の写真は渋谷と工事中の代官山での撮影で、いずれもそのうちに見られなくなる情景といえる )  。また、メトロ車の特急が日中1回だけ元住吉で日比谷線直通を追い抜くが、日比谷線直通は廃止になるので、これまたレアな光景である。平日12:38、休日14:08である。*この先、続きの記事には工事中の自由が丘の写真があるので、「続きを読む」をクリックしてください。

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東横線近況 その1

 いよいよ渋谷駅の地下移転も間近になり、様々な変化や珍しい光景を見ることが出来る。9月から東京メトロの車輌による営業運転を開始したが、それ以前からも他社の編成による試運転は頻繁におこなわれてきた。詳細はよく判らない物の、小生が東京メトロ車の試運転に気付いたのは5月頃のことである。たまたま元住吉や武蔵小杉が通勤先の最寄り駅なので、意外と早い時期に試運転に気付いたのではないか?と思っている。写真下は、元住吉車庫の構内を入れ換え中の姿、上は武蔵小杉・元町中華街間の試運転を終え、元住吉に入庫する為に目黒線の下り線を走行する東京メトロ7000系である。(写真2枚の下の続きもお読みください‥「続きを読む」をクリックすると出てきます)。

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2012年9月14日 (金)

ニュース 東京メトロ10000系が東横線で営業運転

 2013年7月を目指して東急東横線と地下鉄副都心線との相互乗り入れのため、各種の準備工事が行なわれているが、乗り入れ相手各社間において車輌の貸し借りにより従来から試運転が行なわれてきた。最近いよいよ営業運転にも用いられるようになった。写真は渋谷発武蔵小杉行きの東京メトロ10000系。撮影には失敗したがニュース価値はある。写真は事故の為、ダイヤの混乱により急遽武蔵小杉行きとなった極めて珍しい光景。

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2012年8月29日 (水)

2012年8月の鉄道旅行から

  この夏の猛暑に参ってしまい、夏休みはほとんど自宅に篭城していましたが、良い子切符が8日分もあり、遂に重い腰を上げて19日に先ずは最も涼しい鉄ちゃん場所と思われる野辺山へ。その日はしなの鉄道、直江津経由で高岡へ。途中富山のヤードに旧塗装の475を目撃。運用を割り出して翌日はクソ暑いのに朝から夕方まで追い掛け回し、更に翌21日早朝も撮影してから、良い子切符で高飛び、倉敷で一泊。22日は天候が怪しいので直接松江まで良い子切符のたびだけ。お目当ては一畑電鉄の塗装変更車で23,24日の2日間追いかけました。25日は大阪への移動日ですが伯備線の昼間の貨物がEF64の0番台だったので余程下車して撮影を考えましたが雲行きが怪しそうなのと、暑さにめげてそのまま大阪まで乗り継ぎました。26日は鉄コレ買出しと海外鉄道研究会の例会の出席。この時点で良い子切符はまだ三日分ありましたが、模型を買ったので荷物が過大となり、鉄ちゃんは無理と判断し27日に帰宅いたしたのが、旅のあらましであります。

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2012年3月24日 (土)

伊豆急

 去る2011年11月より伊豆急開通50周年記念行事の一環として、クモハ103の本線運転復活が行われるようになりました。開業直後の中学一年生の時に親に連れられ伊豆急に乗車して以来、2002年4月の100系引退まで何度と無く撮影に赴きました。クモハ103復活を機会に、伊豆急電車の写真をまとめて見ました。

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 更に「2010年ヨーロッパの旅行」をかねてから制作中でありますが、一部に解説が未だに無いものもありますが、とりあえずはご覧下さい。

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2011年12月25日 (日)

ひもブレーキ

 これはへーバーライン・ザイルブレーキと言う世にも珍妙ながら、絶妙な工夫により、フェイルセーフの機能も兼ね備えたシステムです。現役の鉄道では旧東ドイツのオシャッツ・ミューゲルン・ケムリッツ間の750mmゲージの鉄道で1980年代中期まで用いられていました。まだ未完成ですが当ホームページでは現役時代の「ひもブレーキ」の写真と概略を、「ドイツのナロー鉄道」でご紹介しています。画面左手の見本画像をの上から17番目をクリックするとドイツナロー鉄道の色々な画像が現れます。ここに掲載の画像は、その一部ですが、屋根の上に張られたザイルが、「ヒモブレーキ」の正体です。

たまたま小生は添乗させていただいた事もあり、その操作作法も今後逐次ご紹介する予定です。

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