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南海電車を見ながら幼時をすごした小生にとって、旧型電車が活躍していた時代の南海電車の情景はひときわ懐かしさがこみ上げてきます。昭和48年の昇圧によって、吊り掛け式の旧型車は1521形を除きすべて姿を消してしまったので、貴志川線を除いてはそれ以前のものですし、高性能車も昇圧に際しては廃車を含む大掛かりな改造がなされました。
ラピートを含む最近の南海電車を見るにつけ、かつての重厚で精悍なスタイルの旧型車を想い出し、最近の姿にはニガニガしく思うところではあります。ここにご紹介致す写真をご覧になり、そんな小生の心境の一端でもおわかり頂ければ、望外の喜びであります。
小生の生まれたのは高野線の北野田付近で自宅の縁側から電車を見ながら育ったのが、鉄道キチガイとなったきっかけのようです。親に連れられて難波に行った際には南海本線のスピードの速いことにあこがれ、特にモハ2001形がヘッドライトを白塗りにして疾走する姿は感動致しました。
高校生の昭和40年でしたか、羽衣から難波までモハ2013の急行に乗車とした際に、堺から運転士はメチャメチャにノッチを入れて、スピードメーターが無いので小生の計測ですが、天下茶屋通過の際には恐らく130キロ位出ていた様に思います。当時は新今宮の駅は無く、今宮戎付近で場外信号が赤だったので停車するまで6分30秒位でありました。当時の特急は堺・難波間を9分で走っていたので、極めて感動的な運転であり、モハ2001形の素晴らしさに感動した記憶があります。後に数学の教師になりましたがあの130キロと言う速度は正しかったと未だに思っています。
実は、小生の父も戦前の南海電車にシビレていた一人で、その写真もこのコーナーでご紹介致したい所でありますが、そのうちにご紹介する所存であります。
なお、ウイッキペディアによる南海電車の記述には、小生の記憶とかけ離れた、疑わしい記述‥例クハ2851形‥もあるようです。
Nakai railways are one of large private railways in southern part of Osaka area,cnsist from two trunk lines and some branch lines.One trunk line is 'Nankai Main line'that is inter urban survices between Osaka-Namba teminal and Wakayama-shi another is 'Koya line' from Osaka-Namba terminal to Koya mountain. The line is includeig 50‰track near Koya mountain area.Until 10-1973,those lines were operated by 600V DC. Here,I intoduce many notalgy photos of old good days.After system chage to 1500V DC,all old cars were out of survices whithout Kishigawa line and some were bought by local private railways.Naw,all 600V cars cannot be seen.
*Maha means moter cars standerd class.
Kuha means no moter cars with cab.
Saha means no motor and no cabs cars.