昭和28年、父の転勤で大阪から東京(正確には神奈川県)に引っ越してきたのは昭和28年、当初は鶴見近くにしばらく間借りし、その後は川崎の球場近くに半年位住んだ後、元住吉の会社の新築アパートに引っ越すまでは京浜急行が最も身近な私鉄電車でした。当時はデハ230形がトレーラーに格下げされたクハ140を真ん中に挟んだ3連が主力で、関西の私鉄電車はすべて貫通幌を装備しているのに、それが無い京急の電車には随分違和感を感じたものです。それよりも並走する東海道本線を走る湘南電車のモユニを含む16両編成の電車の雄大なる姿に圧倒されてしまいました。京急は京浜間の都市間電車で、地理的にも関西の阪神電車とよく似てはいますが、昭和43年に快速特急の運転に伴う最高速度105キロにスピードアップするまでは90キロ運転だったので、随分ドン臭い電車と言う印象がありました。105キロ運転後も、軌道はイマイチで、やたらに飛ばすようになったものの、乗り心地はほめられるものではなく、それでも昭和55年から足掛け20年間ほど京急沿線に住んで居たので、状況変化はつぶさに観察していました。軌道も長年に渡りコソコソと地道に改良を続けて、いつの間にか120キロ運転が実現!今や近鉄の130キロ運転を除くと関西の私鉄もビックリするような高速電車にヘンシンした事は、まったくご同慶の至りであります。取りあえずは比較的近年の写真を主体に、フィルムが見つかり次第、過去の写真も徐々に増やしていくつもりです。なお、40年位前まで京急のドア扱いは運転士が車掌の笛の合図を基に操作していましたが、都営地下鉄との相互乗り入れまでにシステムを改良、連結器も当初の確かトムリンソン密着式から自連に取替えるなどの変化がありました。現在では電気カプラー付きの密着式連結器となり、古い写真では自動連結器である事も興味深いことです。長らく京急の代表的電車として君臨した旧1000系も遂に2010年6月で引退のもようで、時代の変遷をつくづくと感じさせられる昨今であります。
Kekyu line is one of high speed inter urban survice in Tokyo metoroporitan area.The line is conecting from Tokyo-Shinagawa terminal to Yokohama ,Yokosuka etc.