桑町そばにある久米川橋梁を渡るモニ5201を先頭とする2連。この電車はもと伊勢電の初期の車両で、登場時は窓の上に、楕円形(数学的にどのような曲線であったかは不明)などの優雅な曲線を描いた飾り窓があった。戦後近鉄ではそれらを埋め潰し、無残な菅となったのである。
 因みに近鉄の母体は、現在の奈良線である大阪電気軌道、更には傍系の参宮急行電鉄であるが、周辺の私鉄を買収の結果、戦時中には南海をも合併した近畿日本鉄道となったのである。戦後いち早く南海は分離したが、近鉄に合併された私鉄の特色ある電車は保守の都合もあったろうが戦後、見るも無残な姿に改造されてしまった。